宮崎駿原作・脚本・監督による冒険活劇の傑作『天空の城ラピュタ』。その意外な「誕生秘話」をスタジオジブリ社長の鈴木敏夫さんが明かしていました 。
宮崎監督が『風の谷のナウシカ』で得た臨時収入を注いだ映画。それはラピュタではなかった
『 ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ』(文春ジブリ文庫)と『風に吹かれてⅠ』(中公文庫)。これらの本には当時、月刊誌『アニメージュ』の編集者で『天空の城ラピュタ』に製作委員会のメンバーとして加わった鈴木敏夫さん(現在のスタジオジブリ社長)の回想が掲載されています。そこでは『天空の城ラピュタ』は「宮崎駿監督が盟友の高畑勲さんが監督するドキュメンタリー映画に出資して資金難になった末に思いついたもの」という驚くべき事実が明かされていました 。
1984年の『風の谷のナウシカ』の上映が終わったあと、宮崎監督の個人事務所「二馬力」では、高畑さんを監督に福岡県柳川市の水路網「堀割」を舞台にした映画『柳川堀割物語』のプロジェクトを進めていました。現地を取材した高畑さんは「どうせ作るならアニメーションじゃなく本物で作った方がいい気がする」と話し、実写でのドキュメンタリー映画に路線変更します。これにはスタッフも「どこで上映するのか、お金はどうするのか」とも困り果てていたそうです 。
実はこのとき、宮崎監督のもとに『風の谷のナウシカ』のヒットで6000万円もの大金が入っていました。当時はアニメ映画の監督に著作権収入はなかったのですが、製作委員会に加わっていた鈴木さんが、宮崎監督に著作権収入が発生するように契約を結んでいたことが原因でした。宮崎監督は、これまで見たことのない金額を手にして「ボロ家に住んでるからいい家に住んでみたい。好きな車も買いたい」と戸惑いながらも、「しかし、そんなことをしたら世間から何を言われるかわからない。見栄と意地を張ってもう少し意味のあることに使いたい」と語ったそうです。その結果、宮崎監督は盟友である高畑さんのドキュメンタリー映画制作にナウシカで得たお金を注ぎ込んだのでした 。
宮崎駿原作・脚本・監督による冒険活劇の傑作『天空の城ラピュタ』。その意外な「誕生秘話」をスタジオジブリ社長の鈴木敏夫さんが明かしていました。
ところが、資金難に見舞われて……
しかし、映画が半分もできてない段階で高畑さんはお金を使い切りました。宮崎監督は、このままでは自宅を抵当に入れないといけなくなるまで追い込まれます。『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ 』 には、宮崎監督が鈴木さんに相談した一幕が以下のように書かれています。宮崎監督「時間もお金も費やしたけどまだできない。僕の家はボロ家だけれど、家を抵当に入れてまで映画を作ろうとは思わない。鈴木さん、何か知恵はないものだろうか」鈴木さん「大変だけどもう一本映画を作りませんか。そうすりゃ、なんとかなりますから」面白いのはここからです。なんと宮崎監督は、その場で『少年パズー飛行石の謎』という映画の構想を5分かけてしゃべったそうです。それは小学生のころから温めていたという冒険活劇でした 。
<パズー、シータ、ムスカ、『ガリヴァー旅行記』、飛行石をめぐる謎 … … タイトルだけが『少年パズー飛行石の謎』と違っていましたが、「鈴木さん、これならなんとかなるよ」と言うんです><僕は、びっくりして「ずっと考えてたんですか?」と聞くと、「うううん、小学校の時に考えた。数学でシータって習ったでしょう。あれ見た時に、名前はシータにしようとかいろいろ考えたから、今スラスラ出てくるんだよ」って>これが『天空の城ラピュタ』に結実することになります。盟友のドキュメンタリー映画の資金を捻出するため、アニメ映画を作らざるを得なくなったのが真相だったんですね 。
プロデューサーを依頼された高畑さんの反応は?
鈴木さんは『風の谷のナウシカ』同様にプロデューサーは高畑さんに依頼することになりました。『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ 』 によると、東京に戻ってきた高畑さんと深夜、石神井公園を歩きながら以下のように説得しました。鈴木さん「『ラピュタ』のプロデューサーやってください。僕も高畑さんについて『ナウシカ』でプロデューサーとは何かってことを多少勉強したので、実質は僕がやります。高畑さんは『柳川物語』に専念してもらっていいです。何か問題が起きたら相談に行きます。『ラピュタ』を作ることで、『柳川』の足りない制作費もなんとかなると思うんです」高畑さん「ああ、すみません。このあたりには立派な家がいろいろありますね。僕がこの映画を作らなきゃ、宮さんだってこういう立派な家に住めたのに」この言葉を聞いた鈴木さんは「よく言うよと思いました」と、苦笑交じりに振り返っています。宮崎&高畑タッグの名作『天空の城ラピュタ』の企画が動き出した瞬間でした 。
『もうひとつのナウシカ』として知られる『柳川堀割物語』
製作:宮崎駿、監督:高畑勲の『柳川堀割物語』は3年間も制作期間を経て、『天空の城ラピュタ』の翌年である1987年に公開されました。Morc阿佐ヶ谷によると、福岡県柳川市に起こった柳川暗渠事件を基に人と水とのかかわりあいを実写とアニメーションで描く異色のドキュメンタリー。上映時間は167分。高畑勲×宮崎駿が贈る『もうひとつのナウシカ』として、知る人ぞ知る作品となっています 。